ひまニュース
【古代史ミステリー】邪馬台国は、九州から畿内へと「移動」した? 「まつろわぬ民」の鬼伝説に隠された真実とは
航海中に塵輪鬼が登場する『絵入名将百史伝』中村金水著 国立国会図書館蔵
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240729-00014357-rekishin-001-1-view.png
(省略)
第14代仲哀天皇の頃のお話である。正確な年代は定かではないが、およそ4世紀中~後半のことと考えていただきたい。『日本書紀』によれば、仲哀天皇は、「熊襲(くまそ)よりも先に新羅を攻めよ」との神託に従わなかったことで、神罰が下ったことになっている。結局、熊襲討伐を果たせなかったばかりか、病に倒れて亡くなったという。
ところが、地域によっては、その様相が大きく異なって伝えられているから面白い。例えば、岡山県瀬戸市牛窓地区の伝承を見てみよう。ここでは、仲哀天皇が熊襲討伐に向かう途上、その進軍を阻止しようと、新羅から送り込まれてきた塵輪なる悪鬼が登場して、大立ち回りを演じたという。
(省略)
実はこの塵輪伝説、似たような逸話が『日本書紀』にもさりげなく記載されているが、これは注視しておくべきである。皇后が熊襲を退治しようとした時(あるいはその後のことか)のこと。香椎宮の南に位置する荷持田村(のとりたのふれ/福岡県甘木市野鳥)で、羽白熊鷲(はじろくまわし)なる怪しげな者がいて、皇命に従わず、人民を掠(かす)めていたという。
これを皇后が退治しようと、松峡宮(まつおのみや/福岡県朝倉郡筑前町)から層増岐野(そそきの/福岡県朝倉郡夜須町)に向かい、そこにいた羽白熊鷲を殺したというのだ。翼があって高く飛ぶことができたというから、まさに塵輪とそっくり。この後、皇后は山門県(福岡県柳川市、みやま市)まで南下して、土蜘蛛(つちぐも)・田油津媛(たぶらつひめ)を殺害したとも付け加えている。
気になるのは、ここに登場する地名の多くが、筑後川流域だったという点。筑後川流域といえば、邪馬台国九州説派の多くが、邪馬台国の比定地として掲げるところである。この邪馬台国のかつての本拠地だったと思われるところが、4世紀中頃になぜか熊襲の領域になっていた…というのが引っかかるのだ。
もしかしたら、邪馬台国は、当時対立していた狗奴国(くぬのくに/熊襲の前身か、あるいはその南に熊襲が暮らしていたか)に破れて居住地を追われたか、あるいは乗っ取られたのではないかとも考えられるのだ。敗れた邪馬台国の残存勢力がここを脱出して、大和を目指した(同盟国であった伊都国や宇佐方面の一部勢力が加わった可能性もある)と考えられないだろうか? それが神武東征物語として語られたのではないか…という気がしてならないのだ。
気になることがもう一つある。それが、仲哀天皇、神功皇后、武内宿禰(たけしうちのすくね)の三人の関係である。応神天皇は神功皇后と武内宿禰の子であったとの説(応神天皇が神功皇后の娘婿だったとの説も)も根強いが、皇后と宿禰が示し合わせて天皇を陥れた(殺害したとも)との説も見逃せない。本来の正当な後継者は忍熊皇子(おしくまのみこ)らで、皇后と宿禰の二人が自らの子(後の応神天皇)を押し立てて、王朝を簒奪(さんだつ)したとまでいわれることもある。
ここで思い起こされるのが皇后の出自である。『日本書紀』によれば、母方の祖先が新羅から渡来してきた王子・天之日矛(あめのひぼこ)であったとする。となれば、皇后自身が新羅王族の血を受け継いだ者だったはず。自らの原郷だったにも関わらず、豊富な鉄資源に目が眩んで新羅攻略に走ったのではないか?
新羅侵攻に反対する天皇を無視して侵攻を強行した…というのが実情だったとも思えてくるのだ。それに手を貸したのが武内宿禰で、牛鬼に襲われた皇后を救ったという住吉明神が翁の姿に変じたというのも、長命であった武内宿禰のことを暗示しているかのよう。結局、新羅攻略を目的とした結果として、王朝簒奪が成し遂げられてしまったと考えられなくもないのだ。
(省略)
また、ここでいうところの新羅とは、朝鮮半島に築かれていた新羅国ではなく、倭国内に勢力を張っていた新羅王朝だとの見方があることも付け加えておきたい。備前(岡山県)に新羅王朝があったと見なすのが『古代日本の渡来勢力』を著した宋潤奎氏、下関に新羅王朝があったとするのが『倭人と韓人』を著した上垣外憲一氏である。神功皇后が攻め込んだとする新羅というのが、朝鮮半島ではなく、岡山あるいは下関で勢威を誇っていた新羅王国であった可能性も、全くゼロとは言い切れないのだ。(以下ソース)
7/29(月) 16:45配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/17cd4d515d39cecbe28675d92bba75fb5816d426
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240729-00014357-rekishin-000-1-view.png
邪馬台国スレが立つ時は
5ちゃんねらーから何か目を逸らしたい政治問題が起きる時!(`・ω・´)キリッ
なんやろ?最近話題になった政治問題って。
進次郎が露出増やした、岩手のBBAがなんかした、総理は特にこれといって記憶にない
街興し
普通に古朝鮮に毛皮をまといこん棒を振り回していたクソジャップが征伐されただけじゃねえの?w
韓国はこんな話はデタラメと言ってるよ
神功皇后なんていなかったって
鏡貰ってきたぞw
なんとしてもこういう事にしたい朝鮮人が日本に居るんだよな
歴史学者にも朝鮮ルーツの奴がそういう立ち位置
自分のルーツの正当化のため
だから頑なに古墳掘らないんだな
勘違いしてる人が多いけど発掘調査は基本的にやらないもんだからね
発掘は不可逆的な破壊を遺跡に及ぼしてしまうからね
崩壊しそうだとか、何かの拍子に露出したとか、工事中に出てきたとかの時にだけやる
あとは街の遺跡とかのもともと埋まってて掘らないと分からない物とか
古墳は表面に多くの情報があるからムキになって掘るまでもなく色々な情報が読み取れる
そして「皇室の秘密が暴かれるから発掘しないんだ!」とかよく言われるけど、陰謀論者のアイドルの継体天皇の本当の古墳は発掘し放題だから
むしろ宮内庁が隠蔽するつもりならもっとまじめにやれという話w
古墳は表面からも色々な情報が読み取れるけど、中はもっと色々な情報が読み取れる可能性があると思わない?
だから掘ったら壊しちゃうから掘れないんだよ
掘る時は崩壊寸前とか、何かの拍子で露出した時とかだよ
発掘された古墳ってのはそういう古墳
なんでもない古墳を掘ってぶっ壊すとか貴重な遺跡の損壊でしかないよ
レーダーとかで非破壊調査が出来るような技術の更なる進歩が待たれるね
試しに大腸カメラ入れてみたいよね、古墳に
今城塚古墳は盗掘されてるしな
石室に阿蘇ピンク石が使われてて九州との関係を連想させるけど
朝鮮半島にある前方後円墳はどれも日本の前方後円墳より新しい
つまり、朝鮮の人間の方が2000年前から日本の支配下にあったということだ
おまえは神功皇后は実在したという主張だな
わざわざ穏やかな内海がある地域を抜ける意味がないからな
しかし神武が東征したという記録が有るワケだし、九州と近畿で地名どころか配置まで合致しているのだから、両者に繋がりがあるのは明らかで、
ワークニの王権が九州からキンキに移ったと考えるのが自然だろうな。
移ったかどうかは兎も角としても、かなり密接な繋がりがあったのは確実なのよね…
神嶋(かみしま)。伊刀嶋の東にある。神嶋と称される所以は、この嶋の西の辺りに石神があり、その形は仏像に似ていたので この名が付いた。この神の顔には5色の玉が付いている。胸には涙の流れた跡があり、これもまた5色である。泣いた所以は、品太天皇(応神天皇)の御世に新羅から客人が来朝し、この神の顔に付いていた奇偉で思いの外に珍しい玉を見て、これを取ろうと顔をほじったところ、眼を一つ掘り潰してしまった。よって神は泣いたのである。それから神は大いに怒り、暴風を起こして客船を打ち壊してしまった。この船は海を漂って沈み、やがて高嶋の南の浜に漂着したが、乗っていた人は悉く死んでしまった。よって、その浜に埋葬した。故に韓濱(からはま)と名付けられた。今でも此処を通過する者は、韓人に拘らず盲の事(目を潰したこと)を戒めて謹んで渡るようになった。
古墳の副葬品なんかで辿れなきゃおかしいわな
そうそう
神武東征なんか一人でいって負けとるし
んで誰かの助けとヤタガラスのおかげで勝ったとかそんなの東進とかいわねえw
大移動ではなく、正統なる王権のチスジの者として大和豪族の連合体が九州から神武天皇を迎え入れたダケなんじゃないの?
ワークニとか抜かしてるアホの話は誰も聞かねえよ
>>1955年、大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家
こんな門外漢の作文で金が貰えるんだから羨ましいねえ
新羅の瓢公とかあまり触れたがらないのは何で?
朝鮮が日本に与えた影響は大好きだけど
日本が朝鮮に与えた影響は触れたがらないよね
所詮思想の下僕なんだね
これぞ至高にして最強の学説
神功皇后の三韓征伐は好太王碑文があるくらいだから朝鮮半島に侵攻してたのは歴史的事実だろう
全く何も残っていないのは不自然
九州から移動したのではない
九州勢が大和の地で根を張って邪馬台国になったのだろう
、今でいうクルド人やナムの人達みたいな連中がシナ大陸や朝鮮半島から家族で五月雨式に渡ってきてコロニーをこさえて定住して増殖し混血して
やがて天皇を中心とする神の国という今日にイタッたワケだよ。。。
須玖式というかなり古い九州の土器の破片が一つ出ただけで発見扱いになるレベル
弥生時代終末期には逆に畿内から一方的な影響が九州に拡大して九州の文化を消滅させていく
神武東征は考古学的に完全に否定されてる
当然、東遷も起こってない
東征だの東遷だのを今でも言い続ける人って相変わらずトンチキな珍説素人ばっかりだから判断基準にちょうどいいね
そんなん、教えてたくないから、ちょっと移動するごとにお掃除して
そこにいなかったことにする作戦に決まってる
卑弥呼やで?
未来人にそのくらい調べられること、余裕で予知可能
どうすればロックリーさんのように言語学専門なのに
日大法学部准教授になれて、
かつ、歴史学の授業を担当できる人になれるの?